2025年10月16日。アメリカの伝説的ハードロックバンド「KISS」の初代ギターリスト、エース・フレーリーが74歳で死去しました。
幼いころから音楽、とくにロックが大好きだった私は、その中でもKISSというバンド、そしてギタリストのエース・フレーリーの存在にはずっと心を揺さぶられ、ギターのコピーを何曲もしました。
今回は、そんな彼へのリスペクトと感謝を込めて、ひとりのファンとして筆を取りました。
エース・フレーリーとは
エース・フレーリーという存在
1970年代のロックシーンを語るうえで欠かせない存在――それがエース・フレーリーです。
アメリカの伝説的バンド「KISS」のオリジナルギタリストとして、彼は単なるメンバー以上の存在でした。
宇宙服を思わせる衣装と銀色のメイクで「スペースマン」としてステージに立ち、ギターから火花を散らすパフォーマンスは世界中のファンを魅了しました。
しかし、その魅力は見た目だけではありません。
彼が生み出したリフやソロ、そして“ギターが歌う”ような音色は、KISSのサウンドの核となり、数えきれないほどの若いギタリストに影響を与えました。
今回の記事では、そんなエース・フレーリーの軌跡と、彼が残した音楽的遺産を改めて振り返ります。
世界を魅了したKISSのギターサウンド
KISSといえば、炎が舞い、爆音が響き、観客が熱狂するロックショーの代名詞。
そのステージを支えたのが、エース・フレーリーのギターサウンドでした。
シンプルでありながら心に残るリフ、そしてライブで炸裂するソロ――それらは決してテクニックを誇示するためではなく、曲そのものを引き立てるものでした。
たとえば「Detroit Rock City」や「Shock Me」では、彼独自のブルースの感覚とロックの荒々しさが融合し、まるで宇宙を漂うような独特の世界観を作り出しています。
ギターがただの楽器ではなく、“もう一人のボーカル”として鳴っている――それこそがエース・フレーリーの真骨頂でした。
彼が残したサウンドは、今もなお世界中のロックファンの心に鳴り響き続けています。

ロックの伝説、エース・フレーリーの歩み
KISS加入までの軌跡
エース・フレーリーが音楽にのめり込んだのは、1960年代のニューヨーク・ブロンクスでの少年時代。
貧しい家庭に生まれながらも、ラジオから流れるロックンロールの音に心を奪われ、ギターを手に取ったのがすべての始まりでした。
当時影響を受けたのは、エリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスなど、ギターで“感情を語る”タイプのアーティストたち。
独学でギターを弾きこなし、地元のクラブや小さなライブハウスで腕を磨きながら、自分の音を探していきました。
1972年、後にKISSを結成するジーン・シモンズとポール・スタンレーが新しいギタリストを探していたオーディションに参加。
彼はブーツに銀の星を描き、サングラスをかけて登場――その独特の雰囲気と爆発的なギタープレイに、二人は一瞬で惹きつけられました。
その瞬間、KISSの“スペースマン”が誕生したのです。
スペースマン誕生と初期KISSの黄金期
1973年、KISSが正式に始動。
派手なメイク、爆発的なステージ演出、そしてなによりも観客を圧倒するパフォーマンスで、彼らは瞬く間に全米を席巻しました。
エースはその中で「スペースマン」というキャラクターを体現。
ギターから煙を出し、火花を散らす派手な演出は、まさに彼の象徴となりました。
『KISS Alive!』(1975年)はその人気を決定づけたライブアルバムであり、エースのギターが生き生きと鳴り響いています。とくに「She」や「Deuce」といった曲では、彼特有の“跳ねるようなリズム感”と、“泣きのソロ”が観客を魅了しました。
また、自身がリードボーカルを務めた「Shock Me」(1977年)は、KISS史上初のエース作曲・歌唱曲。
ギターが火を噴くステージとともに、ファンの間で伝説となりました。
ソロ活動と音楽的進化
1978年、KISSの4人が同時にソロアルバムを発表。
その中でも最も高く評価されたのが、エース・フレーリーのアルバム『Ace Frehley』でした。
代表曲「New York Groove」は全米チャートでトップ20入りを果たし、彼の音楽的才能が再び注目されました。KISSの枠を超えて、自分自身の音を追求した結果、ロックとポップの中間をいくような独自のサウンドを確立したのです。
しかし、名声と成功の裏で、ツアーの過酷さやメンバー間の確執、そしてアルコール依存が彼を苦しめました。
1982年、ついにKISSを脱退。
その後も『Frehley’s Comet』として活動を続け、力強いギターと正直な歌詞でファンの心をつかみ続けました。
晩年まで現役ギタリストとしてステージに立ち続けた彼は、ただの元メンバーではなく、“KISSの魂を象徴する存在”としてロック史に刻まれています。
KISSに刻んだギターの遺産
代表的なリフとギターソロの魅力
エース・フレーリーのギタープレイは、一言でいえば“歌うようなロック”。
彼が奏でるフレーズは、派手さよりもメロディアスさを重視しており、聴く人の心にスッと入ってきます。
「Shock Me」「Cold Gin」「Parasite」など、彼が生み出したリフは今でも多くのギタリストがコピーし続けています。
たとえば「Shock Me」のソロでは、ブルースを基盤にしながらも、宇宙を思わせるような浮遊感を生み出しており、KISSの世界観と完全にシンクロ。
また「Detroit Rock City」では、勢いのあるリードギターが曲全体を引っ張り、ライブの熱気を一段と高めています。
彼のギターは単なる伴奏ではなく、曲の“もうひとつの主役”として存在していたのです。
それが、エース・フレーリーがKISSの中で最も輝いていた理由のひとつでした。
エース独自のサウンドスタイルと機材
エースのサウンドは、一瞬聴いただけでわかる独特の存在感があります。
彼が愛用していたのは主にギブソン・レスポール。
太く、温かみのあるサウンドに、時折歪んだトーンを混ぜることで、荒々しさと繊細さを両立させていました。
ライブではギターから煙が出たり、ライトが点滅したりする「スモーキングギター」を披露。
これは彼自身がアイデアを出した演出で、音だけでなく“視覚でも魅せるギタリスト”としてのこだわりが感じられます。
また、彼の演奏は完璧さよりも“グルーヴ感”を重視していました。
1音1音に魂がこもっており、少しのズレさえも“味”に変えてしまう。
だからこそ、聴く人はその不完全さの中に人間らしい温かみを感じ、心を動かされるのです。
他メンバーとの化学反応とステージパフォーマンス
KISSは、ジーン・シモンズ(ベース/デーモン)、ポール・スタンレー(ギター/スター)、ピーター・クリス(ドラム/キャットマン)、そしてエース・フレーリー(ギター/スペースマン)の4人で構成されていました。
この4人の個性がぶつかり合うことで、KISSという化学反応が生まれました。
エースのギターは、ポールの明るく伸びやかなリズムギターと対をなし、ジーンの低音のうねりに鋭く絡み合っていました。
特にライブでは、彼の一音が鳴るたびに観客が歓声を上げ、ステージの熱気が一気に上がる。
「Rock and Roll All Nite」や「Black Diamond」などでは、メンバー全員が一体となり、爆発するようなエネルギーを放っていました。
さらに、エースの“無邪気なロックスターぶり”も魅力の一つでした。
MCで少し照れながら笑う姿や、演奏後にファンへウィンクを送る仕草――それらすべてが彼の人柄を物語っていました。
KISSのステージが“ショー”ではなく“ロックの祝祭”として愛された理由は、間違いなく彼の存在にありました。
公式ミュージックビデオ🎸
エース・フレーリーのソロ曲「10,000 Volts」を公式チャンネルからどうぞ。
彼のギターは、いまも変わらずエネルギーに満ちています。
この「10,000 Volts」も、まさにロックの自由を体現した一曲です。
後世に残した影響とファンへのメッセージ
後進ギタリストへの影響
エース・フレーリーの音楽は、世代を超えて多くのギタリストたちに影響を与えました。
彼のプレイは決してテクニカルではないものの、「ロックギターとは何か」という原点を思い出させてくれるものでした。
ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュ、パール・ジャムのマイク・マクレディ、そして多くの80年代ハードロックバンドのギタリストたちは、こぞって「エースがいなければ今の自分はいない」と語っています。
スラッシュはインタビューで、「初めてKISSを見たとき、ギターを持つことがどれほどカッコいいことかを教えてくれたのがエースだった」と回想しています。
また、デフ・レパードのフィル・コリンは、「彼のソロを聴くと、ギターがまるで人の声のように響いていた」と語りました。
派手な技巧ではなく、感情を込めたプレイ。
それが後進のギタリストたちに、“心で弾くギター”の大切さを伝えたのです。
ファンが語るエース・フレーリーの魅力
KISSの中でも、エースには独特の人気がありました。
それは、完璧すぎない人間味にあふれたキャラクターにあります。
舞台裏ではおどけたジョークを飛ばし、インタビューでは飾らない言葉で自分を語る――そんな彼の姿勢が、ファンにとって親しみやすく感じられたのです。
SNSには今でも、「エースがいたKISSが一番好きだった」「彼のソロを聴くと泣けてくる」といった声が溢れています。
特に「Shock Me」や「New York Groove」をライブで聴いた経験を持つファンにとって、あの瞬間の興奮は忘れられない記憶として刻まれています。
彼の存在は、ギタリストとしてだけでなく、“ロックを楽しむこと”そのものを体現していたのです。
彼が残した“自由と個性”というロックの精神
エース・フレーリーが残した最大の遺産は、音楽以上に“自由”という生き方そのものでした。
バンドの枠にとらわれず、自分のやりたい音を追求し続ける姿勢。
それは、KISS脱退後も変わることはありませんでした。
彼は常に「ロックは自由であるべきだ」と語り、若いミュージシャンに“自分を信じる勇気”を伝えてきました。
彼の音楽は、技術ではなく感情で奏でられたロックの原点。
ギターを通して「自分らしくあれ」というメッセージを放ち続けたその生き方は、今も世界中のファンやアーティストに受け継がれています。
エース・フレーリー――彼はギターを弾くだけのロックスターではなく、自由と個性を貫いた“生きるロック”そのものだったのです。

まとめ
エース・フレーリーは、KISSという巨大なバンドの中でも、ひときわ強烈な輝きを放ったギタリストでした。
彼の存在がなければ、KISSはあれほどまでに世界を熱狂させる“ロックショー”にはならなかったでしょう。
メイクや炎の演出といった派手な要素の裏に、彼の人間味あふれるギターがあったからこそ、音楽としての説得力が生まれたのです。
派手なテクニックよりも心で弾くこと。
完璧を求めるよりも、自分らしさを貫くこと。
それこそが、エース・フレーリーが生涯をかけて体現した“ロックの精神”でした。
今、彼のギターはもうステージで鳴り響くことはありません。
しかし、「Shock Me」や「New York Groove」を聴けば、あの笑顔とともに、いつでも彼がそこにいるように感じられます。
彼が残した自由と個性のメッセージは、これからも世界中のロックファンの心に生き続けていくでしょう。
もう一度あのギターを聴きたかった──ありがとう、エース。
あなたのギターは、これからも私たちの胸の中で鳴り続けます。
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